小平市玉川上水を守る会編


           『羽村堰』
江戸時代の技法を遺す羽村堰



「羽衣の堰」とも呼ばれる羽村堰は、固定堰と投渡堰とからなっている。
今日のコンクリート造りの投渡堰は明治42年(1909)に、固定堰は3年
後に完成している。

投渡堰は江戸時代からの技術で、堰の支柱に桁を渡し、それに丸太を
立て、その間に細い丸太を横に通し粗朶(そだ・木の枝)を組み付け河
床に砂利を敷く。

台風などで異常増水した時は堰を払って、水門の破壊や洪水を防ぐ仕
組みである。一部機械化されたが、このような堰は今日、 日本では羽
村ぐらいになってしまった。

筏通し場(幅4間・約7・2b)については、享保6年に設けられたもので
ある。 経過は玉川上水ができて凡そ60年後の享保3年 (1718)に、筏
の通行で 堰の川底が掘れて本流の流れが多くなり、 上水の取水量が
減ったために筏の通行を禁止した。 困った羽村より上流42ヵ村の筏師
達が、禁止の撤廃を求めたことにより 設けられたのが今日残る筏通し
場である。

平成9年、多摩川を魚がさかのぼれるようにとの「魚道建設計画」 (旧
建設省)に当たって、筏通し場を魚道として利用する改造計画が出され
た。この計画に対して地域住民等が強く反対したことにより、魚道は堰
の別の所に設けられ (平成14年5月)江戸時代からの筏通し場は保全
されることになった。

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